公開: 2024年5月19日
更新: 2024年5月19日
第2次世界大戦が終わってから、一貫して経済成長を続けてきた日本経済は、特に、土地価格の高騰をテコに、拡大を続けていました。しかし、1990年頃から、土地価格の高騰が限界に近づき、庶民が不動産を購入できる水準を越えると、土地の価格は上がらなくなりました。この土地価格の上昇の停止をきっかけに、土地を担保に資金を借り入れることが難しくなり、日本国内での金融が回らなくなりました。
それまで、土地の価格が上昇しなくなる状態が考えられていなかったため、土地価格の評価が見直され、じりじりと低下をし始めたのです。金融機関では、土地価格の上昇を期待して、資金を貸し出していましたが、土地価格が低下すると、債権の回収が難しくなります。この債権回収が難しくなる状況を恐れて、金融機関は、貸し出していた債権の回収に着手し始めました。金融機関から資金を借り入れて、設備などの投資をしていた企業は、金融機関の方針転換について行けなくなっていました。
このような経済状況の変化から、東京株式市場では、企業の業績見通しが悪化し、株の売り注文が増大し、一時、38,000円台にまで上昇していた平均株価は、大きく下落し始めました。この株価下落によって、日本社会では景気後退感が広まりました。政府と日本銀行は、金融機関の倒産を恐れ、金融機関を守るため、金利を低く保つ低金利政策を導入しました。しかし、日本社会における不況感は、回復せず、株価は下落し続けました。その結果、東京証券取引所の平均株価は、1万円を下回る7,000円台にまで低下しました。
その後も、クリントン政権が導入したドル安政策のため、為替相場が1ドル80円前後まで上昇したため、それまで、日本経済をけん引してきた輸出産業が痛手を受け、大企業にも雇用調整の動きが出て、失業率が上昇するとともに、日本社会における労働コストは、下がり始めました。特に、日本社会では、それまで難しかった非正規社員を雇用することができるようになったため、大手企業による社員の採用が大幅に減少し、就職氷河期が到来しました。
終身雇用を前提としていた日本社会では、大学卒業時に正規雇用の職業に就けなかった場合、景気が回復してから、正規雇用に戻る道がなかったため、就職氷河期に大学を卒業したヘビー・ブーム世代の第2世代の人々は、正規雇用の道から外れ、企業での経験を積めなかったため、低賃金での労働に従事するしかなくなりました。また、企業もその世代の人材を十分に採用しなかったため、その後、人材不足に悩む結果になりました。
このことは、その後の日本経済の発展に対して、大きな「足かせ」になっています。労働力の移動が柔軟な、他国と異なり、自由度が小さい日本社会では、自社で人材を育成する方式が確立していたため、社内に人材が不足すると、社外からの充当が困難だからです。このことが、現在の日本企業の経済発展を阻害している重要な要因になっています。この状況を解消するためには、日本社会の雇用制度や教育制度の改革も必要になります。
経済バブルの絶頂期には、「世界一の日本経済」と称賛された日本経済でしたが、バブル経済が崩壊した後、日本経済は少しずつ、確実に凋落(ちょうらく)の道を歩んできました。1990年頃、「21世紀は日本の時代になる」と言われましたが、インターネットの時代が到来すると、インターネットの普及が遅れた日本社会は、急激に世界の舞台から転げ落ち始めました。それに代わって、台頭し始めたのが巨大な人口を持っていた中国です。中国は、GDPの規模で、日本を抜き、世界第2位になりましたが、長期に渡る「一人っ子政策」の副作用で、急激な高齢化社会に突入し始めています。
バブル崩壊後、金融機関を保護し、日本企業を保護するために、政府が導入した低金利政策、円安誘導政策、非正規労働者の増大、低賃金政策など、日本企業を守るための生産が、30年間続いたため、世界的に見た日本の労働コストは、極端に低くなり、日本は「安い国」になってしまいました。
ボーゲル, E、ジャパン・アズ・ナンバーワン、TBSブリタニカ(1979)